NavyTern’s blog

思考の試行。

花の都でのたうちまわる

色々なことがあって、色々なことをして、いまここにいて、きっとこれからも色々あるのだろう。はっきりと人生をつかめないまま、短期的にこうだと思った道に進んできたけれど、まさか自分が花の都をキックボードで疾走することになるとは思わなかった。

 

同じ会社で働きながら、幸運にも声をかけていただいて、面接や勉強などをしながら、パリに来て、もう2ヶ月を過ぎ、もうすぐ帰国する。

そもそもは、海外で働いていて、キャリーケースを引きながら、携帯で電話をしながら空港を闊歩する大人がカッコいいなと思ったから、いつか海外で働いてみたいと思ったのだ。そのイメージとは身なりが違ったけれど、入社から一桁の年数で、願いを叶えられたのはよかったなと思う。

カッコいいなと思ったイメージは一瞬を切り取ったものだが、実際は飛行機のなかにいる時間が長いし、現地での仕事っぷりはと言えば、泥に塗れて草をかき分けていくようなものだし、少しは通じると思っていた言語も、ボロクソだった。一言では説明しきれないほどの情報量を込めて、重力が倍以上かかっているような「大変」な毎日を過ごした。

 

そして今日、なぜか社長と一対一で話す夢を見て、あまりの緊張に目が覚めてしまった。僕はなにか大切なことを話そうとしていて、社長はしっかり聞こうとしてくださっていた。たぶん僕は今感じていることや、不安や不満をぶちまけて、自分がこの先どう進んでいけば良いか、答えでなくともヒントを与えて欲しかったのだと思う。僕は社長に縋りたかったのだと思う。

目が覚めて、冷静にそのことを考えたとき、自分がどう生きるべきかなんて、てめぇで考えて決めていくものだし、そんなことを相談されても社長も迷惑だろうし、これが現実でなくてよかったと思った。

 

昔観た映画の「墨攻」に、「他者に是非を尋ねるのは、自信がない証拠だ。」というセリフが出てくるのだけど、僕はこのフレーズを折々に思い出しては、自分自身を叱咤激励してきた。なにかの目標に向かって、努力を続けて、疲れてきたり、思うように成果が出ないと、迷ったり、疑ったりし始めて、少しずつ言い訳やよそ見が増えてくる。

そうすると、活躍している友人知人が羨ましく思えたり、変に焦ったり、なにか新しいことをしなくちゃと、もがいたりする。20代はこのサイクルを繰り返してきた気がする。

 

自信は、ないのかもしれない。

せっかく目標を達成できても、その上や次を見てしまったり、人から褒めてもらっても、これに甘んじて堕落してはいけないと考えてしまって、逆に少し不安になってしまったりする。だから以前妻に「もっと楽しめば?」と言われたとき、自分がちっとも楽しくなさそうに見えていることに、ようやく初めて気づいたのだった。

 

結婚をして、家を買って、子供を作って、同じ会社に勤め上げて、老後は夫婦で静かに暮らす、という高度経済成長期の典型的な幸せな生き方は、真似ていればどこか安心できるような気がする。でもこれは、気のせいだということも自覚していて、今の社会情勢では「普通」であることがもはや困難なことで、少しずつ格差は広がるだろうし、何も考えずに働いていれば生活が良くなることは、もうないと思われる。

自分で全てをコントロールできるわけではないにせよ、積極的にこう生きていたいと前に進んでいかなければ、ズルズルと抜け出せない沼にはまっていくような人生になるのではないかと思う。

 

夢は、見ている間が一番楽しい。叶えようと一歩前進したが最後、そこには厳しい荒野が広がっている。でも結局、夢はさっさと叶えてしまった方が良いのだ。夢だと語ってしまうと、どこか自分と切り離した世界のお話に思えるから、目標と言い換えて、前進すれば、荒野の中に辿るべき道が見えてくる。そして、めでたく叶えた瞬間、それは単なる通過点だったと知る日が来るのだ。

 

 取り留めもないことを書いたけれど、自分の中のモヤモヤは少し解消された。

先へ進もう。