NavyTern’s blog

思考の試行。

多読のすすめ

怒涛の勢いで卒論執筆中の今日この頃、米を炊いている間は休憩です。

今日は読書について書こうと思います。
というのも、卒論を書くにはたくさんの参考文献を利用します。ところが何十冊もある本を一から丁寧に読んでいる時間はないので、欲しい部分だけさっと目を通すわけです。しかも、どこぞの誰かが何十年も前に書いた全く内容のわからない文章を、その「さっ」の間に理解しつつ自分が言いたいことの説得力を強化するために使う。いかに速く深く読むかが勝負です。この文章もさっさっと読んでくださいね。

で、今日はこれを一日中やっていたわけなんですが、自分でもわかるくらい読書のスピードは速くなったなと。いや、自慢とかじゃなくね。でもこれは元々そういうのが得意とか、コツを知ってるとか、速読術をマスターしてるとかそんなんではないのです。むしろコツがあるなら教えてほしい。

大学生活で一番時間を割いたものは、間違いなく読書です。夏にネパールにいる間も結構読んでた。小説がメインだったけど、新書も好き。手っ取り早く知識を吸収できる。あとは新書で参考文献として挙げられていたものとか、授業で扱う古典作品とかも読んでた。最近はこれに雑誌が加わりました。

僕は変に飽き症で、同じ本を10ページも読むと堪えられなくなって、閉じてしまう。でも本は読みたいから別な本を開く。これを繰り返して、7,8冊の本を同時並行で読んでいました。いわゆる多読というやつです。これを続けていると、大体週に2冊読了、年間だと100ちょいくらいのペースでした。

多読の利点は二つあります。
一つは、一冊換算だとちょっとずつ、ちょっとずつ読んでいくことになるので記憶に残りやすいということ。一日でばーっと読んだ本はほとんど頭に残ってないことがあったので、同時読みでないにしてもゆっくり読むのは大事です。

もう一つは、化学反応があること。多読をする場合は、なるべくジャンルがバラけるように読みます。そうすると、例えば物理の法則について書かれている本と、昔むかしのヨーロッパの哲学者が考えていたことが合致したり、前に読んでいた本で謎だった部分が別な本で解消されたり。一つの本を色んな面から読むことができる。


今年はあんまり読んでないから、たぶん3年間で300ちょいは読んだでしょうか。そうやってるうちに自然と読むのも速くなる。しかし、それだけ読んでいると、中にはどうでもいい本もまぎれている。もう超つまらない。でもなんかいいこと書いてあるかも、と最後まで読む。このとき集中力がいい感じにそがれてくると、字面を追うだけの流し読みができます。参考文献で使っているのはこれ。これが速くなると、小説なんて考える余地ないからあっという間。勿論ものによるけれど。
最初は本の内容に左右されて集中の度合いが変わっていましたが、慣れてくると自分で調節できるようになりました。今年はあんまり本を読んでいないけど、参考文献が読めてるから、たぶんそんなに簡単には衰えない力なんだろう。


ここまでの読み返すと、今まで読んでるだけで書く力は身につかなかったなー。。。

ある人はこんなことを言いました。
「現代に書かれた本を読んでも理解できなかったときは、その本の著者が馬鹿だと思いなさい。古代に書かれ、何千何百年の時を超えてきた本を読んでも理解できなかったときは、自分が馬鹿だと思いなさい。」

これは現代に書かれた本ばかり読んで浮かれていた僕にはキツイ一言でした。でもこれは、本に限らず色んな事にも言えることですよね。長い時間を経て尚残るものは、やはりそれだけの価値があります。しかも時間と共に余計なものは削ぎ落ちているから、まさしく「いいもの」の塊な訳です。

時代の最先端を爆走する、かのハルキ・ムラカミも「時の制裁を受けていないものは文学ではない」って言ってるしね。そうすると僕はちょっと馬鹿を突っ走りすぎたのかなーと反省して、この前「竹取物語」を買ってきました。かぐや姫は想像以上にわがままです。普通に考えたらあんな女とは結婚したくないよ。名乗り出た5人の男は、相当なマゾだったはずで・・・

話がずれました。とりあえず結論は題名に書いてしまったので、終わりにしますが、もしも余裕があればお試しください、多読。素敵なセレンディピティがありますように。