NavyTern’s blog

思考の試行。

生きる

学校のいじめや就職難で辛くなって自殺する若者が増えているとかなり前の新聞で見たけど、自分のことに置き換えてみたとき死にたいとまでは思えなかった。なんとかなるだろうが半分、どうでもいいかが半分。

一度しかない人生だから自分が思い描いた理想から少しもはみ出さないようにみんな生きようとする訳だけど、現実との海溝に悩んだり見えないふりをしたり変に納得してマァ何とか毎日を送っている訳だ。その日が楽しければいい、数は少なくても気心の知れた仲間がいればいいという発想なんだと思う。

僕が思う生きるというのは、諦めと無力性の偶発物だというのが基本にある。
生まれたいと願って生まれた訳でなく、何故かかくも過酷な世界に産み落とされ、日々闘わなければならない毎日という現実を前に、どうしても意味を求めてしまうのだ。

「なぜ生きているのか」「自分はなんのために生きているのか」。
誰もがぶつかる問題で、納得の仕方は人それぞれだけど、僕は自分探しの旅をする人は少し考えが浅いのではないかと思う。どこまでいっても自分は自分の中にしかないから、旅するにしても自分作りの旅に成る訳で。

かつて僕も思い悩んだ。なぜ今生きていなければいけないのかと。死にたい訳ではなく、何をしたらいいか分からなかったんだと思う。10カ月も尻にカビが生えるんじゃないかと言うほど本を読みふけって出た答えは「人生に意味なんてないんだ」という当たり前の答えだった。同時に手が空っぽだと感じた僕は、ないなら自分で作ればいいかというふうに自分を納得させたのだろう。

人生は生きてみなければわからない。わからないものはわからないものとして引き受けなければならない。
やりたいこととか理想の自分とか人並みに、あるいはそれ以上に持っていたけれど、世界の現実はなんでも望みを叶えてくれるワンダーランドなんかでは決してなく、明日になればなるほど地獄化していくようなところであった。

この乖離にクソがつくほど悩んでドツボにはまりやすいが、なんてことはないただ海溝にぶつかっただけである。そしてその海溝こそ世界の正体である。その中で僕らは色んなところに頭をぶつけながら生きるように仕組まれているのだ。

そういえば昔、「君は色んな事を諦めているよね」と言った女の子がいたけど、彼女の地獄を僕は見ることができなかったなぁ。