NavyTern’s blog

思考の試行。

大津市中二自殺事件の一連に関して

いじめが苦でたった14歳で自殺してしまった男子。
マスコミが注目し始めたというのもあるのだろうけれど、学生で自殺する人間が増えて来ているような気がする。

いじめに関して思うのは、「いじめは悪いことだから早くなくそう!」というあほみたいに前向きな妄想を日本人はいつまで続けるのだろうかということだ。いじめはなくならない。なくす能力も努力もこの国にはない。

いじめられた子は極端に視野が狭くなっていると思う。いじめ云々より学生みんながそういう傾向だけど、選択肢がほとんど与えられていないのが現状だ。
学校という狭い社会で生きていけなければもう自分の居場所がないように感じている。自分は孤独で誰にも受け入れてもらえない人間なんだと考える。

そんなバカなことがあるか。

そもそも人間はみな一人だ。そして世界は広い。自分より遥かに恵まれない人がいて、信じられないくらい生きていることそのものが困難な状況に置かれた人がいる。その点で日本人なんか高等遊民甚だしい。

問題なのはそのことを自覚させる機会が皆無であることだ。自分がどんな世界に立っていて、何ができて何ができないのかを教えないままに因数分解やら英語の文法を教えて何になる。

この「自覚」という言葉は言いかえれば、「気が付く」ということだ。
まず、いじめはなくならないということに気が付くこと。世の中は醜い競争と残酷な試練の連続であることが分かっていれば、ではそれらを乗り越えるためには何ができるのかと考えることができる。その思考の過程で、戦うという選択肢、逃げるという選択肢、和解という選択肢、それぞれ自分がどうして行きたいのかを決める力を身につけることもできる。

獅々は千尋の谷に我が子を突き落とすという。日本が今までやってきたこと、今後も続けようとしているのは谷を埋め立て、平坦な道を作ることに等しいのではないか。世の中に平坦な道はほとんどなく、それらを乗り越える力が必要不可欠だと誰より知っているはずの大人が何故こんな馬鹿げたループを続けるのか理解できない。

いじめはなくならない。その上でどう生きるかを本人達に問う。自分がどんな世界に立っているのかを自覚させる。そこからしか根本的な解決にはつながらないと、俺は思うんだよ。