NavyTern’s blog

思考の試行。

僕とネパール、ときどき先輩

無事に卒論を終え、さぁ就職だ、という前にこの四年間の振り返りをしなくてはなーと思うのです。12月だしね。
長くなりそうだったら、何回かに分けて書こうと思います。

僕は大学に入ってから4年間、毎年ネパールに行きました。
マリファナをやっていたわけではなく、女の子を買っていたわけでもありません。学校、作ってました。

本当は、大学に入ったらアカペラサークルに入りたかったんです。かっこいいなーと思って。でも、当時住んでいた寮の新歓によってことごとく時間が奪われ、ダメになってしまった。今でもあの寮のことは怨んでいます。


それで次に考えたのが弓道部。サークルじゃなくて、部。
弓道は、実は小4から続いている趣味?で、高1のときに二段をとってからは横ばいな感じで来ていた。ここらで一気に力つけとくか、と思って覗きに行きました。初対面の部長に対し、今年は何を目指しているのかと質問したりして、随分生意気な1年生だったなぁ。練習場まで行って、実際の風景を見せてもらったけど、そこで諦めてしまった。

「射が汚い。」
僕がずっと通っている道場では、子供がほとんどいなくて、半世紀以上年齢の離れた人たちと練習するのが当たり前でした。見てくれる先生も、日本でその名を知らない人はいないくらいすごい人で、とても恵まれた環境で練習してきてたんだなと再確認しました。そういうことに気付いたのも、このときが初めてだったけど。

道場では、あまり的に当てることを重視しません。矢が真っすぐに飛べば、それでいいのだという教えです。当たり外れ云々よりも、まずは射を行う身体や精神をしっかりしなさい、それがきちんとできていれば自ずと矢は的に当たるようになる。「どんなにすごい弓の達人になったって、外れることはあるのよ」と、達人がのたまう訳です。
当時10歳の僕に。意味を理解するのに10年かかりました、先生ごめんなさい。

ところが、大学ではスポーツの一つですから、試合があって、勝たなくてはならない。勝つためには当然的の真ん中に当てなくてはいけないから、そればかり意識せざるを得ません。弓というのは自分の癖を把握していれば、小手先で的に当てることはできます。でも、その姿は必ずどこかに歪みができているから、端から見ていると、とても不格好になる。不格好に見えていることに気づけるか否かは、きっと指導者のレベルなんだと思う。

そういう色々を感じたり考えたりして、僕は「当てる弓道」より「当たる弓道」を選んだ。

この時点で6月になっていました。
どうしようかなーと思っていた頃、思い出したのは1枚の写真です。青空の背景に足がぽーんと投げ出された写真。ああそうだ、あのサークルがあったなと思い出しました。

それが今の海外ボランティアのサークルです。活動内容は、毎年ネパールで学校を作る。費用は全額自己負担。体調管理もネパール以外の旅行も自己責任。ここまで意外と紆余曲折を経て辿り着いてたんだなー。

その写真を見たのは高2の秋だったと思います。たまたま学園祭を見に行って、たまたま人混みが苦手なので避けていたら、たまたまボランティアサークルばかりが集まったコーナーに辿り着いた。そこでたまたま入った部屋にその写真がありました。

青空をバックに足を撮るというのは、地面に寝転がっていないとできません。何も遮るものがないでっかい空の下で、そうやって写真を撮っている誰かを想像したら、「ああ、超自由だ」と感じたんです。「俺もこれやりてぇー!!」って。
もうボランティアなんてそっちのけです。肌が褐色だから、インドかどっかだろうとか思ってた。場所なんてどこでもいいんです。その写真が撮りたいだけなんだから。受験やだなぁとか考えてた時期だったのもあって、なんにも制限されない世界に行きたかった。すごい行きたかった。

でもそれ以降は記憶が飛ぶほど忙しくて、入学後の6月になるまでずっと忘れていた。なんで思い出したんだろう。その辺はよくわからない。



なんか意外と書いてしまった。続きはまた次回にしよう。
次回予告「どうしよう。大学生って変な人ばっかりだ」
ではではー