NavyTern’s blog

思考の試行。

空がいい青なんだ、あの寺は

大学二年生になった僕は、簡単に言えば病んでいた。
なぜ、今ここで、「私」として生きていなければならないのだろう。世界にとって、国にとって、自然にとって、その他いろんなものにとって、「私」は必要か?いや、いなくても同じだ。じゃあ、なんでいるのだろう。そんなことを考えていた。

一方サークルでは、慢性的な後輩不足に陥っていたため、次期リーダーをどうするかという問題が挙がって?いた。僕はK氏が二年生のときからリーダーを任せられていたという話を聞いていたので、よし、次は自分だ!と意気込んでいた。ちなみにK氏は爽やかM氏の前任リーダーです。

ところが、僕の一つ上の先輩がやります、と言ったらしく、その流れとなった。
問題はここからである。この先輩はSさんとするが、正直、リーダーをするタイプの人ではなかったように思う。そこに少しずつ苛立ちが溜まっていた。

実際の夏のキャンプが終わった後、僕らは学園祭に出展している。これがとてつもなく面倒なのだ。学園祭を仕切る大きなサークルがある訳だが、まるでお役所。一々書類を出さないと意見は通らないし、しょっちゅう会議に呼び出される。会議当日は集合時間ちょうどに行っても廊下で1時間待たされ、挙句内容は書類を読み上げるだけだ。疑問点を聞いても「確認します」と言ったきり帰って来ない下っ端。
この学園祭のサークルに所属していたという人間が目の前に現れた時、嫌いになるのは言わずもがなである。

この度々の会議及びサークル内の仕事(結構いろいろある)を、あろうことか放棄するSリーダー。期日直前になって「やって!あたし忙しくてできない!」とメールがくる。何度爆発しかけたか分からない。「できないなら始めからやるな」とずっと考えていた。

この翌年、自分がリーダーをやることでその大変さや気苦労を知ることはできたが…。もう終わったことだから、どうでもいいか。


話はネパールに戻る。
一年生で参加した時は、どうしても海外に行きたいという思いでいたし、見るものすべてが新しかった。今年は、もう自分の存在理由もわからないし、リーダーでさえないし、ボランティアって言ったって学校完成しないし、K氏も就職してしまったし、とネガティブまっしぐらであった。

それでも「辞める」と言いだせなくて、だらだらとミーティングに出て、チケットを買い、とうとうカトマンズの飛行場に降り立った。その瞬間、ネパールの匂いがした。ネパール特有のむわっとした匂い。

「ここまで来ちゃったんだ。わからないことばっかりだけど、しっかり見て帰ろう」

そんなことを、ふと考えた。

キャンプ自体は無事に行うことができた。頼りないSさんの代わりに、爽やかM氏、母なるNさんがいたので、なんとかなったのだ。僕だけは錆びた古釘を踏んで、現地でのインジェクションを体験したけど。生きてて良かった。

キャンプの後はNさんと、みんなのマスコットQさんと一緒にチトワン(ネパ南部国立公園。早い話、ジャングル)に行って、象に乗ったり、ワニのいる川を丸太みたいな舟で渡ったり、馬鹿みたいにご飯を食べたりして、たくさん蚊に刺されて、帰国後、マラリアの疑いで病院に駆け込んだけど。生きてて良かった。本当に良かった。
色々あったけど、なんだかんだのネパール。僕は当たり前のことに気付き始めていた。

自分は、何も知らない。

一年目、金魚のフンとして街を歩き、一通り観光もして、ネパールの全てを知った気になっていた。ところが色んな事にぶつかって、ちゃんと見ようとすると、わからないことがたくさん出てきて、一つ一つ知っていくことが楽しかった。入国するまで「来たってしょうがない」と思っていたけど、「また来よう」に変わっていた。


何度も爆発しかけたが、結局最後までSさんに意見することはなかった。それには理由がある。

Sさんがリーダーになるとわかってしばらく経った頃、僕はK氏と会っていた。「どうしても彼女をリーダーとして支える気になれない」と打ち明けた。
仲良くやってくださいよぉー、とビールをぐいとやった後、K氏はこんなことを言った。

「別に先輩だから立てなきゃいけないとか考えなくてもいいんじゃないか。お前が来年リーダーをやる気なら、今できることあんだろ。それをやればいい」

僕は、頭をがーんとやられた気持ちだった。自分は何もできないくせに、リーダーはかくあるべきと決めつけて、ぐちゃぐちゃと駄々をごねていただけだ。そうだ、今できることがある。

もしも、何もできない自分がリーダーとして一番上に立ったとして、きちんとメンバーを導くことができるだろうか。答えは否だ。だったら、Sさんが一番上にいてくれる間に、学べることを、吸収できることを全部身につけておかなければ。貪欲に全部力に変えていこう。

そう考え直した後、僕は自分ができること、学べることを一生懸命にやったつもりだ。時には空回りをしたり、そこから次の年にやりたいことを見つけたりした。あのとき練習ができてよかったと思う。リーダーのそばで仕事を見ることができたから、サークルを一つの組織として見る目を養うことができた。

そういうポジティブとネガティブが入り混じった、中途半端な状態がちょうど夏のネパールだった。
カトマンズにスワヤンブナートという寺院がある。小さな山のてっぺんに金色の仏塔が建っていて、野生の猿がたくさんいる。神の使いとしての猿と、国中にいる野良犬が共存する面白い光景が見れるところでもある。

ボランティアキャンプもチトワン観光も終わった後、ここでのんびりしていた。ビルと言ってもせいぜい4階までしかないカトマンズが全部見渡せる。視界のほぼ全部が空になる。
遠くで坊さんが唱えるお経?が聞えて、急な階段をえっちらおっちら上ってきたばあさんがマニ車を回して、ませてきた中学生くらいのネパリカップルがデートしてて、太陽は暑いけど風は少し冷たくて、とんびが飛んでて、でっぷり太った西洋人の観光客がアイスとか食べてる。

地面は汚いけど、そこに寝転がって、ただ空を見ていた。でけーなーとか、青いなーとか、でけーなーとか思っていた。頭の中が本当に空っぽだったんだと思う。だからこそ、空の青がなんだかとても綺麗に見えて、周りの音が心地よくて、「ああ、ここ大好きだ」と思えた。

空の青が綺麗。そんな当たり前を当たり前として受け止めて、けれども他のどんな事より大切な当たり前として受け止めて僕は帰国した。

ここまでダラダラと書いてしまったけれど、あの青を上手く伝えることができない。行って見てくれと言うしかないのが情けないけれど、そういう青なんだ。いい青なんだよ、あの寺の空は。


次回、「リーダーになるということ」