NavyTern’s blog

思考の試行。

旅の話をはじめよう

新年明けましておめでとうございます。無事に新年を迎えられたことに感謝ですね。今年もどうぞよろしくお願いいたします。

さて、年明け早々に暗い話をしてもアレなので、旅の話をしましょう。

2月から僕は旅に出ます。学生最後の卒業旅行という、半ば儀式めいた、でも親世代には理解されないアレです。行先は秘密です。既に言っちゃった人もいるけど。もともとこのブログは、考えたことをまとめるために開設しましたが、当初から卒業旅行の紀行文も載せられたらいいなと考えていました。できればリアルタイムで。卒業旅行が終わった後は、もうあんまり文章を書く余裕はないかもしれないから。

以前、「良い旅ってなんだろう」と考えたことがありました。4年間の大学生活で5回もネパールに行き、1度だけモンゴルに行った僕が感じたのは、なんかみんな焦って旅をするんだなーということでした。何か見つけたいとか、変わりたいとか。みんな血眼で曖昧模糊なんだもの。怖いよ。

初めての海外でネパールへ行ったときは僕もそんな眼をしていたんだろうか。もう5回も行くと、飽きる。成田まで行くのも、現地でタクシーの交渉するのも、毎日ダルバート食べるのも、まるで近所を散歩する感覚です。たまには映画でも観に行こうかなくらいのワクワク。たまにおばあちゃんに会いに行くときくらいの緊張感。

でも、これは裏を返すとすごく幸せなことなんだなーと4年目で気付いたわけです。帰国した後に「今年はどうだったの?」って訊かれても「いつも通りだったよ」って答えてしまう。こんなやりとりを何年も続けてくれる友達のありがたいこと、ありがたいこと。

僕の率直な感覚として本当にいつも通りだったからそう答えるんだけど、これは、当たり前の生活が当たり前にできていたから言えることなんだと思います。朝起きて、歯磨いて、お茶飲んで、ご飯食べて、着替えて、働いて、休んで、ご飯食べて、昼寝して、働いて、休んで、働いて、ご飯食べて、歯磨いて、着替えて、夜寝る。至ってシンプルなサイクルを一つ一つ丁寧に、毎日繰り返してきました。そうすると、朝起きた時に太陽が全身に沁みわたっていくときとか、砂まみれで働いた後に一杯のお茶を飲んだときとか、ああ、生きてるなーって感じる。

僕らがこうして生きてるのは間違いなく事実ではあるんだけど、なかなか実感することって少ない。だからこそ、そういう感覚をきちんと理解していることって大事だと思うんですよ。
そんなことを旅の中からと言うよりは、帰って来てから「そういえば」って思い出すのが旅の良いところですよね。モンゴルでは「この旅で得たことは何?」って僕に訊いた人がいたけど、上手く答えられなかった。そんなことを考えながら旅したことないもの。帰って来てから「あー旅してたなー」って色々気付き始めるからね。夢中なんだ。質問されたときはまだ夢が覚めてなかったんだろう。

だからきっと血眼の人も夢中なんじゃないのかなって思う。旅が終わって、時間が経って、「あー血眼だったー」って気付くのだろう。でも、血眼になって何か探してる人って自分が欲しい答えを実はもう知ってるんじゃないかなって、秘かに思ったりしている。誰かや何かに背中押してほしいだけのときってあるからね。

んで、最近は2月の旅の準備とかしている。航空券取ったり、どこ行こうか考えたりして。この前、本屋でガイドブックを漁るように立ち読みしてたんですよ。でも興味を引かれるものになかなか出会えなくて、何冊も何冊も探してたんです。行きたいところ、行きたいところって。
そこで、はっと気付いた。僕は何を探しているんだろう、と。まだ出国さえしていないのに何を焦っているのか、と。知らず知らず血眼になっていたなー。

案外、準備をしているときが一番楽しいのかもしれないとも思った。冒険の帰り道が最低な気分なのと似ている。「旅したいなー」と思って、世界地図を広げたり、誰かと話始めた辺りから、旅は始まってると思う。帰って来てからも何かに気づいたり違和感を感じたりして、それがしばらく続いていたら、「それはそれは良い旅」ができた証なんだと思います。

案ずるより産むが易し。産んでからが大変だよね。