NavyTern’s blog

思考の試行。

アラスカ、早朝4時の納得

書き始めた当初は、ただ自分の考えをまとめるために書いていた。色んな人に見せるようになって、面白いものを書かなきゃと思うようになって、自分じゃない誰かのために記事を書くようになった。そうやって書いたものは、自分のためなんだろうか。色んなことが面倒になってしまった。

誰かのための文章ならば、1から10まで説明が必要だ。色んな軸を使って、再現する。
でももうそんなものは要らない。自分には要らない。ただ書きたい。そうやってまとめよう。


2012年度、夏はネパールにいた。最後のボランティアキャンプ。サークルを任せるのが若干不安だったリーダーはとても頑張っていた。できないことや苦手なことがたくさんある中で、一生懸命だった。だから俺も頑張ろうと思った。最後だからってのらりくらりしてるのは自分の中の「先輩像」ではないと気づけた。先輩だから余裕を持ってのんびりするというのは、なんか違くて、最後だから出来ることあんだろと思って働いた。
「先輩」をやるのは苦手だ。しんどいから。ずっと「後輩」でいれたなら、どんなに楽か。上だけ見てればいい。わからないことは聴けばいい。ただ学んでいればいい。「先輩」はそうはいかない。教えたり助けたり色々ある。結局、最後まで上手に「先輩」はできなかったな。申し訳ねぇ。

学校のことはいいや。卒論は、勉強の楽しさと文学を研究する方法への懐疑を同時に得た。仏の顔して鬼の採点をする先生の授業も最高評価でパスできたし。やりゃあできる。それを確認しただけだった。

今日のメイン、卒業旅行。良い旅だった。色んな国に行ったけど、ひとつひとつ納得して進めた。天気にも人にも恵まれた。ラッキーを見つけるのが上手くなった。

何より一番恵まれていたのは相方。ひと月弱の男二人旅だったけど、喧嘩もなく違和感もなく「フツー」なままで帰って来られた。これはすごいことだ。俺はすごく疲れていたり、体調がよくなかったりすると些細なことでもいらいらしやすい。そういう自分が厭だし、それで仲が悪くなるのはもっとノーだ。頼る時は頼って、自分ができるときは自分でやる。そういうバランスが取りやすい相方だった。バランスが取れると分かっていたから、出会った2年前から「俺はお前となら良い旅ができる。絶対にできる。」と言い切れた。これは一つ目の有言実行。

ケルン大聖堂は、とても感慨深く、心休まる場所だった。
初めて存在を知ったのは高2の世界史の授業。分厚い資料集に載っていた写真がすごい綺麗だった。隣に座ってたやつと「いつか行きたいね」って話してたけど、心のどっかで「俺はきっとここに行くことはないんだろうな」と思っていた。自分が海外出られるなんて考えてもなかったから。
だから大聖堂に入って、ステンドグラス越しに光が差し込む椅子でぼーっとしていたとき、「あー昔行きたいって言ってた場所に来られるくらいには成長したんだなー」と。できないと思ってたこと、いつの間にかできるようになっていた。これが有言実行の2つ目。

ロンドン、というかオックスフォード。
街全体の醸し出す雰囲気が歴史の長さと権威の高さを物語る。世界には本物の一流がある。ここで学び、遊び、成長していく人間に比べたら、自分はなんて小さくてつまらないんだろうと感じた。ただ街を歩いているだけで恥ずかしいと思ったのは初めてだ。もっと貪欲に色んなこと勉強して、考えて、行動していかなきゃいけない。

ロンドンは大英博物館
ヨーロッパは、歩いていると「ニーハオー」ってすれ違う人がたまにいる。中国人が嫌われてるのもあるんだろうけど、アジア人全体が蔑視を受ける。ただアジア人というだけで。差別は空想じゃない。服装はかっこいいし、脚は長いわ鼻は高いわで、「日本人ってダメなのかなぁ」とちょっと落ち込んでいた。気にしないようにしてた。

大英博物館の最上階はJAPAN展をやっている。そのど真ん中に、戦国武将の鎧兜が佇んでいた。まわりの人は「サミュライ、サミュライ」って言ってたけど、「サムライ」、な。その鎧の正面に立って、じーっと見てた。そしたら、日本からこんなに離れた国の一番有名な博物館の一番上の階のど真ん中で、この鎧はずっとここにいたんだなと思った。臆することなく、しゃんと前向いて。その姿に、思わず背筋が伸びた。「びくびくするな。日本人の矜持を忘れるな」って言われてる気がして。胸張って歩こうと思った。

そして、アラスカ。三つ目の有言実行になる。
この場所へ行きたいと考えていた期間はケルン大聖堂より長い。
中学に入学したとき、国語の教科書の表紙の裏に一枚の写真があった。夏のツンドラの森を撮影したやつ。「世界で一番静かそう」と思った。それから10年間、いつも頭のどこかにその写真があって、行きたいなと考えていた。
中学で陸上を始めて、部長になって、高校に入学して、カメラをいじるようになって、受験があって、大学に入ってネパールに出会って、気付けばリーダーで、就活は大変で、卒論も書き上げた。いつもいつも目の前のことしか見ていなかった。ずっとやりたいと思っていたことを俺はまだやってないなと気付いた。

タイミングとしては最後の最後になってしまったけれど、とにかくアラスカの大地に立ちたい。もし相方に断られたとしても、一人でも行きたい。

氷点下の世界は生易しいものではなかった。最初に空港から外に出た時は身体がついていけなかったのか、激しくむせた。呼吸を丁寧にした。ちょっと歩いてるだけで手足の先端はみるみる冷たくなった。鼻の中も凍ってパリパリになる。でもそれが楽しかった。

今年はオーロラの当たり年で、例年より格段に見やすくなっている。着いたその日は見られなかったけど、3日目には北の空を埋め尽くすほどの光を見ることができた。星はまさしくまたたいていて、肌の表面から外気に熱を奪われていく。この広大さは、魚眼レンズでも追いつかない。その場所に立って、見上げなければ知ることのできない空だった。

夜通し撮影した。似たような写真でもいい。一枚一枚がここにいたという証だ。自分にとっての。帰国してこの写真を誰かに見せるかもしれないけれど、それは全てを伝えることはできない。ここはこんなに寒くて、オーロラを今か今かと待つ時間はこんなに長くて、たった一杯のコーヒーが身体の全部に沁みわたっていく。そういうことを含めたオーロラの美しさを写真は伝えることができない。オーロラは大体夜の11時から2時くらいまでが見やすかった。まだ出るかなと3時まで粘り、もう寝なくていいやと4時になった。シャッタースピードを最大にして月を撮ると、まるで昼間の太陽みたいに写る。そんなことをして暇をつぶした。

同時に、ずっと考えていた。
なんで、ここに来たかったんだろうか。ここにきて、見たかった景色を見て、どうなりたかったんだろうか。自分の中でいま何か変化が起きているんだろうか。そうでもなさそうだ。
とにかく寒い。ずっと先まで雪しかない。マフラーも手袋も既に自分の息で凍りついていた。

「果てに行きたい」はずっと言っていた。これ以上先がない場所。そこへ行けば何かを終わらせることができると感じていたのかもしれない。でもそれは、終わってしまうことでもあった。だから何となく怖くて行けなかった。
「行きたいけどまだ行ってない場所」があれば、毎日の生活に希望を残すことができる。夢を見ていることができる。でもそれを叶えてしまったその先は?何が残っている?ただ日常だけが残るのか?今思えば、言い訳をし続けてきただけだったんだ。

果ての大地アラスカ。厳密に言えばフェアバンクスはまだまだ果てじゃない。それでも、早朝4時の雪原は生き物の気配が皆無だ。耳の内で鳴る音だけがかすかに聞える。それは心地よい静寂というより、ぞっとする恐さの方が強い。自然に身体が縮まっていく。とんでもないところに来てしまった。

これを感じるためにここに来たのだろうか。目の前に広がる景色はずっと先まで続いている。果てまで来たつもりだったけど、まだ続いている。あの向こうには何があるんだろう。
地球は丸いという当たり前のことを納得した。どこへ行こうと、まだまだ世界は続いていて、見るべき景色があって、歩くべき大地がある。世界は終わらないんだな。よかった。まだ旅を続けられるんだな。俺はまだ「行きたい場所」を探していていいんだな。それはどんなことよりも、救いだ。

アラスカには1週間いた。毎晩、マイナス20度の世界で空を見上げてファインダーをのぞいた。
その内寒さも慣れて、2時間くらいは平気で外にいられるようになった。でも身体はきっと確実にダメージを蓄積していただろうし、体力も削がれていたと思う。日本にいるときの1.5倍くらいの食事を続けても体重は落ちていった。

始まりがあれば終わりがある。帰国して、成田から温泉に直行した。朝のキラキラした光がお湯の中で揺れていて、湯気がゆっくり動いている。酷使し続けた身体がゆるんでいく。隣でカピバラみたいにくつろぐ相方を見て、本当にこの人のおかげで良い旅ができたなと思った。
「ありがとうとごめんなさいをちゃんと言う」のはお互いのルールだ。旅の最初に決めた。楽しかった。ありがとう。少し休もう。休んで、すぐに俺らは就職するわけだけど、自分で休みの調整ができるようになったら、またどっか行こう。国内でもいい。あーでも、俺は次はモルディブに行きたい。コスタリカも行きたい。一人でも行きたい。寒いのはしばらくいいよ。あったかいところへ行こう。ビーサンがいい。

どこだっていいけど、それは絶対、良い旅になる。